わが町の産業のルーツ??

見附結城が復刻されました。
ネーブルみつけに立ち寄ったときに、機織の体験をしていました。
見附結城は、江戸時代後期の天保年間(1830~1844)から昭和の初めにかけ、見附で織られていた木綿縞のことを「見附結城」または「見附縞」と呼んでいます。
見附織物産地の基礎を築いたのがこの綿織物で、庶民の普段着や野良着として広く普及しました。
それ以前の文政年間(1818~1830)には村松藩の家中婦女子が手内職として木綿糸を紡ぎ、下総の結城へ供給していましたが、やがて見附でも高機を購入して染めや織りの職人を招いて指導をうけ、綿織物の産地を本格的にスタートさせました。
これが「見附結城」の誕生でした。徐々に機屋の数が増え、生産量も伸びて行きます。明治・大正時代には機織の技術改良が進み、更に生産量が拡大。見附は新潟県内最大の綿織物産地へと発展していきました。
見附結城の最盛期は大正6年、年生産44万反をピークに下降を続け、昭和初期の不況により、昭和7年以降ついに姿を消したと説明板に書かれていました。
見附の産業の礎となった「見附結城」・・・関係者の熱き想いで復刻されました。
わが町のルーツを知りえたようで大変興味深かったです。
5月には、民俗文化資料館で「はたおり教室」が開催されるそうです。
